第一症 霊薬少女とクロヤギの手紙 その2



────むかーし昔、ほんの十年程前。

とある『事件』で世間を騒がせた少女がいた。

まあ『事件』というか周りが騒ぎ立てただけなのだが。少女とその周りにとっては『大事件』だった。少女の名前は木津神 瑞月こづかみみづき

何処にでもいる変哲のないタダの美少女である。しかし、その変哲のない美少女は少しばかり天から『特別な能力』を与えられていたのである。

「よーし、じゃー! ちゃっちゃと片付けちゃいましょーかねー」
うなだれた奥様から『後天性屍不全症候群』の治療に関する契約書にサインをもらった後。
『息子さんは当医院でしばらくお預かりします。治療経過については随時ご連絡致しますね』と伝えるとお母さんは深く深く頭を下げて帰途についた。
診療室に残されたのは美少女あたしと檻の中のゾンビくんである。

「母さん、いるー?」

白衣を脱ぎ、ポニーテールを整える。デスクの引き出しから取り出したゴーグルを装着しながらあたしは隣室に声をかけた。
すると、一瞬の静寂の後。隣室につながるドアが音もなく開き、すぅ…っと顔の鼻から下を『仮面』で覆った女性が入ってきた。顔の半分を仮面で覆ったその風貌は異様である。看護服を着てはいるが、こんな風体の看護師をよそで見たことはない。
そして、何を隠そうこの女性こそが、あたしの母親にして我が木津神診療所の主任看護師の木津神 惺梛こづかみせなである。
母さんは小脇から一冊のノートを取り出すとスラスラとペンで『いるよ』と書いた。

いや、わかってるし。

「母さん、この子の治療始めるわ。医療補助お願いできる?」
ぺらりとめくったページに『いいよ』と書かれる。
いや、だから頷いてくれるだけでいいってば。

あたしの母、惺梛さんは喋らない。

生まれつき喋れない、とゆー訳ではない。
とある奇病の後遺症が酷いのだ。
五年ほど前に発症した、とある奇病の後遺症で母さんはこの『仮面』を着けることを余儀なくされた。おかげで日常生活に大きな支障はない。

だが、後遺症の影響は強力で、社会的に隔絶された生活を送らざるを得ないこととなった。
「じゃ『箱』を開けるわね。準備はOK?」
『いつでもええよ』
声を出せなくなった。
仮面をつけざるを得なくなった。
しかし、それぐらいならウチの惺梛さんはへこたれりゃしない。その程度なら笑いながら近所のスーパーの特売に出掛けていく人なのだが、母さんはこの自宅兼診療所からは出ない。それは彼女の後遺症が重篤すぎて社会がこれを許容できないのである。
「いくよー」
ガシャンっと『箱』の開封口が開く。
格子から離れ、ゾンビくんが大きな口を開けて『箱』の外に出てくる。

ぉごおおおおぁぁああっ!

飢えていたのだろう。
苛立ちと空腹を吐き出すように彼は大きく吠えた。その白く澱んだ瞳と口元に涎を光らせて、彼は脚を引きずりズルズルとあたしの方へと向かって歩いて来る。
この診察室は割と広い。
部屋の中央に設置された『箱』からあたしの所まではおよそ五メートルほど。この距離で彼の行動を観察する────と、悠長に構えようとした時だった。
ゾンビくんが舌をベロりと垂らした。
「く……クク……喰わセろぉぉごおおおおぁぁああっっ!」
「なっ!」
どんっ!という衝撃音。
それは彼が診察室の床を思い切り蹴った音だ。
ズルズルというノロマな歩みを想像していたあたしの考えを嘲笑い、それを裏切る驚異的なスピードでゾンビくんの顔と舌があたしの眼前に迫る。

速い! これは予想外!

「いっ! い……イタ……いただきまァァァっっ!!」
舌の向こうに苔緑色に冒された口が大きく広がった。後天性屍不全症候群の患者特有の腐った卵を土に埋めたような臭いが鼻をつく。
喋ることのできる知性が残っているのに『箱』が開くまで呻き声しか出さなかったのは彼なりの策略か! 腐っても賢いじゃんゾンビくん!
しかぁぁあぁしっ!

ずどぉぉぉぉぉおおおんっ!

その青白い舌が美少女のお鼻に届くことはない。
何故なら、ここには────ウチの惺梛さんが居るから。
「母さん、ナイスぅ」
『余裕』
さながらSM倶楽部の女王様の如く、いとも簡単に左足の下にゾンビくんを制圧する。すかさずノートに『余裕』の文字、その横に可愛いニャンコのイラストを描いてるあたりの無双感がえぐい。ま、その辺の野良ゾンビ風情が不意を突こうが何しようがウチの母さんにかなう筈がないのだ。

『異常性筋感覚超越症』────別名超人病アキレウスと呼ばれるコレが母さんに社会生活を諦めさせた後遺症である。とある奇病を患った母さんは必死の闘病の末に一命を取りとめた。その際、およそ人間の限界を超えた身体能力を手に入れた。
本人の望まない奇病の『後遺症』という形で。
ちなみにどれぐらいの身体能力かと言えば、素手でホッキョクグマを捻り〇せるぐらいと言えばお解りいただけるだろうか。
『瑞月、早くして。潰しちゃいそう』
「あー、はいはい」
急かされたあたしは床に這いつくばるゾンビくんの頭を鷲掴む。ガシッと掴まれたゾンビくんだが、母さんに踏みつけられている圧に耐えるので精一杯で身じろぎひとつ出来ない。
「OK、母さん。ホールドそのまま、ちょっぴり待っててねー」

鷲掴む右の手のひらに意識を集中する。
────呼吸を調える。

治療のイメージとしては翠色の万病薬が球状に凝り固まっていく流動体。呼吸を深く吸う。そして前頭葉から発したイメージをそのまま、心臓の鼓動と共に血液・血管を伝わる経絡の流れに乗せ、
「が……ガアァァアアアっ……!」
あたしの手のひらから発する『何か』を感じたか。狼狽する気配を見せるゾンビくん。なかなか察しがいいな。焦るゾンビというのも乙なもんである。
「────黙って、アンタは手当てをされてなさいっ!」
────ほとばしる流れ、『力』の奔流を一気に患者の身体に、叩き込む!

「くらえ!『翠緑の蘇生薬ラークト・エデシア』ぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

バヂィぃぃいいいいいいいっ!

 

診察室に翠色の光が電撃となって荒れ狂う。

およそ治療行為が行われているとは思えない音と光。
「あがあぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁあぁっ!」
あたしはさっきゾンビくんの母親に言った。
『彼の病気は現代の『医療』では治せない』と、それは嘘偽りではない。しかし、あたしには彼の屍態化の症状を含め、難治性の奇病をことごとく治療する『特別な能力』がある。

ぶっちゃけ言ってそれは『医療』ではない。『医療』などと呼んでは医学の父に怒鳴りつけられてしまう。
今、ご覧いただいたのは、知る限りではあたしだけが持つ奇病を治す力────いや『奇病を治してしまう力』である。

それをあたしと母さんは白医術セクメタリーと呼んでいる。



いつもあなたのおそばにクェン酸

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください