第三症 霊薬少女に、洗礼の儀式 その2



(ぷっ………ぷぷぷっ)

何とかこらえてはいるが自然と笑いが込み上げてくる。
「木津神 瑞月」と自己紹介をした彼女を三度、この教室の中で迷わせた。
残念だけどコレぐらいは切り抜けてもらわないと困るんだぞ。

意識しないと見逃してしまう。

まだ、あと数回は教室の中で『迷って』もらおう。
そして、この『2年Ω組』というクラスがどういう領域かを知ってもらわなければならない。
可哀想だが、もう少し遊ばせてもらうぞ。

がらららっ

四度目、また木津神が教室のドアを開ける。
ドアは開いたものの彼女の姿は見えない。

どうしようか迷っているのか。

一度目は教壇の右手から。
二度目は入口から左に曲がって直進しようとした。
三度目は教室の中央を突っ切ろう、とした。

────さあ、四度目はどう来るか。

「さ、木津神さん。はやく席に座ってください」
何度聞いたか高峯教諭のこの言葉。
もう聞きたくないだろうな。
いい加減「もう、やってられるか!」とぶちギレて帰っても不思議じゃあない。
だが、その程度の忍耐力ではとてもこのクラス、そして学園でやっていけはしないんだぞ。

「木津神さん。木津神さーん?」
ドアは開いたが入ってこない。

諦めたのか?

高峯教諭が呼びに行く。
なんだ。案外早く折れた────

「はーい。ここでーす」

 

びくんっ!

その声は恐ろしく近いところから聞こえた。

俺の左側。

そう、この教室の中で唯一空いている席から。
慌てて重い身体を傾け、左側を向く。
すると、快活を絵に書いたようなポニーテールの転入生が悪戯っぽい顔で俺の方を見ていた。

「ここが」

トントンと彼女は机を人差し指で叩く。
「あたしの席でいいんですよね」
そうして高峯教諭に確認を取る彼女の表情は、
完全にこちらを制圧した勝者の表情だった。

教諭は満足そうに一つ頷くと出席簿を教壇の上で広げた。
それを確認した木津神 瑞月は俺の方を見てにこりと微笑む。
「これからよろしくね。公家方くげかた

 

二年Ω組の窓際、最後列の席。
ここがあたしの席である。
うん、悪くない。
よーやく座れた。しかし、まぁ〜面倒くさかった。

右隣にいる『ぬりかべ』君もとい公家方君の額に浮かぶのは脂汗。
無理もない。
自分の副症状による『洗礼』が知らぬ間に突破されたのだから。

『教室内での迷子現象』

何も知らずに体験すると摩訶不思議で異様な世界に足を踏み入れた様にも思える(実際、摩訶不思議なのだが)が、タネが割れてしまえば簡単な話なのである。
高峯先生の生徒の点呼が響く。

あたしは隣の公家方君にのみ聞こえる声で呟く。

「……珍しいわね。あなた壁体性不可視へきたいせいふかし阻害症そがいしょうね?」

「……む、む………むぅ、なぜ……」

「別名『ぬりかべ病』とはよく言ったものね。あたしも初めてよ。実際の症状を見たのは」

『壁体性不可視阻害症』は、その罹患者の視認できる範囲内に『見えない壁』を生じさせてしまうという超精神性の奇病である。

もっと端的に言おう。

彼の視界内に生まれる『見えない壁』
それに触れると彼の視界の外に排除されるのだ。

────かつて魍魎跋扈もうりょうばっこした江戸時代。
この奇病の罹患者は夜道で人を惑わせる壁妖怪『ぬりかべ』と呼ばれたところに端を発する。
一見すると彼の身体は、平面ぽく巨大な壁のように肥大しているように見えるが、実際のところそこまで大きくなっている訳ではない。
大きく見えるのは彼の生じさせた『見えない壁』による光の屈折ゆえなのだ。

だから、こうして隣の席に座っても別に彼の肩があたしに触れることもない。
書物を紐解けば『ぬりかべに遭遇した際は棒で下の方を払うと良い』らしい。
それは、すなわち罹患者の視界を避けることで不可視の壁を回避することができるという意味ではなかったか。

「……どこで気づいたんだぞ?」
二度目に戻された時かな」
もちろん、三瞳さんの助言があってのことである。
彼女の助言がなければ、あたしはもっと『見えない壁』のおかげで皆の笑い物になっていた。

「二度目、不死川さんの前まで行ったあとに中央の彼を見たわ。その彼の肩越しに貴方こっちを見てたのね」
公家方君は無言のまま黒板を凝視している。
「貴方の奇病の副症状は『視界内の一定距離で動いた対象を強制的に移動させてしまう』もしくはそれに近い何か。
そんな所だと思うけど、違う?」
「……ほぼ、当たりだぞ」

あたしは頬杖をついて宇宙飛行士くんの背中を見る。
「そうよね。名前は知らないけど『宇宙服』着てるあの人の陰から貴方の視界に入った途端、あたしは迷わされた。そこで察した」

「なるほどな」

観念したように公家方君は滔々と語る。
「この病気の症状、正確には『自分の視界に認識した『壁』に触れたものを領域外に排除する』んだぞ。お前の推測は良い線だぞ」
なるほど。
彼の視界内にできてしまう『壁』に触れると副症状の影響を受けるのか。当たらずも遠からじである。
「それで、どうやってそこに座ったんだぞ」
「あー、それ? 聞きたい?」
「もちろんだぞ」
「んー、実は申し訳ないけれど貴方の死角を突かせてもらっただけよ。ほら」
「ん?」
あたしが公家方君の肩越しに指さしたのは、教室のドア。

だが、教壇の横の入り口ではない。
教室の後ろにあるもうひとつのドアである。

わずかに人が一人分通れるだけ開いている。

「悪いけど貴方アンタ、前しか見てなかったでしょ。自分の肩越しにドアが空いてたの視界に入ってなかった?」
「いや、待て」

おや、気づいたか。
察しが良いな公家方君。

「ドアを開ける音は『一度』しかしなかったぞ」

そう、教室にドアは二つある。

ドアの開く音が『二度』鳴れば、どんな鈍感な人間でもそちらに視線を送る。
即ち、あたしが公家方君の死角を突いて席に座る為には『協力者』が必要だった。

そう。

「────三瞳さん、か」
あたしが三回失敗した後に、四回目で成功することを知っていた人物。
尚且つ『後ろのドアを開けるのに成功する寸分たがわぬタイミングを知っていた人物』である。

「彼女の奇病は高ステージの未来視症候群ブライサイトなのね。びっくりしたわ」

「………なるほど、納得だぞ」

未来視症候群ブライサイト』とは読んで字の如く、未来が視えてしまう高次機能奇病である。
かつて預言者と呼ばれた偉人の中にも、この罹患者がいたのではないかとされている。
詳しい説明はまたの機会にするが、この奇病の罹患者は健常者にはおよそ感じ取れない未来の情報を汲み上げてしまう
今回は、期せずしてその奇病症状に助けられる形になった。

この公家方君といい三瞳さんといい、不死川さんといい。

彼らは皆、こないだウチに来たゾンビくん(元)などとは比べ物にならないレベルの奇病罹患者である。
まだ名前すら聞けていないが、他のクラスメイトたちも彼らと同等かそれ以上の奇病を患っている可能性があるとするなら、

なるほど、確かに『何が起こっても不思議じゃないクラス』である。



いつもあなたのおそばにクェン酸

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