第二症 霊薬少女は、教室で惑う その1
新緑の季節である。
AIタクシーに乗りながら、あたしは窓の外を流れる巨大なブナやナラの落葉広葉樹林を頬杖ついて眺めていた。
青々というより鬱蒼と生い茂りまくった樹々は、どの幹を見ても活力満点。緑の枝葉を力いっぱいに伸ばし、少しでも陽光を浴びんとして木漏れ日のトンネルを創っている。
植物ってすごいなぁ。
この壮大な自然のトンネルを抜けたその先に、あたしの新たな転入先の学校がある。
車窓から外を見れば、遥か遠方に「貝柄市」の中心街が見える。地方都市としてはなかなか栄えている方ではあるが、当然ながらトーキョーやオーサカといった中枢都市には及ぶべくもない。
「あとどれぐらいー?」
「ソウでヤンスね。マディア学園・正門前まで15分ってところでヤンス」
誰よ?
AIの言語サークルに『昭和の舎弟アルゴリズム』を入れた奴は。
自宅まで学園専用の無人タクシーを迎えに寄越してくれた待遇には感謝するが、このAIさっきから隙あらば「お嬢さんカワイーでヤンスね」だの「乳バンドはもう着けてるでヤンス?」とかコンプラの欠片もない質問を浴びせてきやがる。
ハンドルさえ寄越してくれれば即座に崖からダイブさせてやるのだが、残念ながら回せそうなものはどこにもない。
不愉快は景色で紛らわす。
「ねー、あの観覧車があるのはテーマパーク?」
「ここら辺のエンタメスポットの聖地『ジー・ワイパーク』でヤンスね。デートするでヤンスか」
「じゃあ、向こうのタワーみたいなの見えるけど何?」
「アレでヤンスか? アレは貝柄市のシンボル『ヤードタワー』でヤンスね。アッシのシンボルと同じぐらいデカいでヤンス」
「……あそこのピンク色のホテルは……」
「今から飛び込むアッシとお嬢さんの愛の巣でヤンス」
「よし、お前ぶっ壊れろ」
「や、ややや止めるでヤンスぅぅうううっ! 怖い目でダッシュボード下の配線を千切ろうとしちゃダメでヤンスっ!」
………正直なところ、このAIを設定した学園関係者の品性の疑う────さて、学園に着くまでに軽くおさらいをしておこう。
『マディア学園』
もしかすると、ご存知の方もおられるかもしれない。巷ではちょいと有名(訳アリ)な中高一貫教育の学校である。
元々は戦時中の陸軍の野戦病院だったが、終戦後は病院としての機能を残しつつ復興教育の学び舎として開校したという経緯を持つらしい。初代校長の『全ての学びたい者に教育を』という教育理念のもと、こと現代に至るまで、その教育の系譜は途切れることなく続いている学園である。
────が、いつの頃からか。
あらゆる者に教育を施すため、と広く間口を設けたこの学園には健康に不安を持つ学生が多く集まるようになった。
もちろん、一般の生徒も通うことはできる。
しかし、健常者の希望者は多くなく、その生徒の大半は何らかの『特殊な疾患』を持っているということらしい。今の言い方にすれば『奇病罹患者』である。要約すれば、今現在この学園に通う生徒は何らかの『奇病を患っている者』が大半ということである。
ちなみに、そこのアナタに問いたい。
この『奇病』という単語にアナタはどんな印象を抱くだろうか。
『生まれながらにして治ることのない疾患や奇形の外見を伴う病気』という程度の認識レベルならば、それはもはや現代人ではない。
世界は秒刻みで変化している。
ここに来て世間はその傾向が顕著だ。
それは地球環境の異常のせいか、それに対応しようとする人類の順応因子のせいか。今や前時代にはなかった『病気』がこの世界には数多く存在する。
先日のゾンビくんの『後天性屍不全症候群』だってその一例である。
その昔は伝承やファンタジーでしかなかった『屍人間』も、周知こそ薄いが病気として現代に蔓延っている。
もはや『奇病』は「個性」と言ってもいい、そんな時代になりつつある。
それでもこの『奇病』に対する偏見が減っていかないのは人間という生き物が持つ心の原罪ゆえだろう。
まあ、あたしはそんなことは欠片も気にしないし、そもそも興味がない。
さて、そんな奇病罹患者が集うマディア学園に、あたしが転入する理由はいたってシンプルである。
────それは、あの日のもやし炒めに遡る。
「な…な………ななななな…っ」
手紙の文面を読む手ともやしを挟んだ箸が震える。
書いている内容がにわかに信じられずに二度三度、何なら無限に読み返す。
「なんですってぇえええぇぇえっ! な、ななな七億ぅぅううううっ!?」
母さんから受け取った『手紙』を母さんにも見せる。
目で三行ほど読んだところで母さんはノートに『うわお』とペンを走らせた。
文面はこうである。
『黄金の霊薬少女へ希い奉る
S県は貝柄市 マディア学園にて
災害級奇病『万魔殿症候群』を確認に至る。彼の者を治療せよ。成功報酬は──── 七億円 也』
あとは潜入する際の学園への手続きの方法だとか、必要経費の振込方法やらが書かれていたが、あたしが無限に読み返すのは一つ、ただ一箇所のみ。
『七億円』
「きったぁぁあぁあぁぁぁあぁぁぁあぁあぁぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁあぁっ! あたし待ってた! すっっっごい待ってたこの依頼!」
ざっしゃぁぁあああっ!と右手の拳を天に向かって突き上げる。無表情のまま母さんも『パチパチパチ』とノートに無限に速記。
いや、だからそこは拍手してくれたらいい。
「七億っ! 来たわ、単体の依頼では間違いなく過去最高額。ヤバかろーが、多少貞操の危機とかエロいことえっちぃこととか、チラつこーがこの依頼は絶対受けるからねあたしっ! 止めないでよ母さん!」
『大丈夫。絶対止めない』
「よっしゃぁああああぁあっ、そうと決まればプラン練るわよぉぉぉぉ!」
美少女だって嬉しければガッツポーズをする。それが大金に由来するところならば尚更である。世の中の女子に「あたし、あなたがいれば他に何もいらない」などと清純無垢な幻想を抱いている純真な青少年諸君。
頭では理解っているだろうが刮目せよ。
コレが現実である。
逆にふつーの女子は不当な貞操の危機を感じたら絶対に逃げろ。
これは美少女同士の約束だ。
と、ゆー訳であたしがマディア学園に転入するのは、我が木津神診療所の借金返済の為なので学園に馴染む必要などは毛程も無い。
もっと言い切ろう。あたしの目的は学園生活を楽しむことではなく『七億円』なのだ。
そんな手紙に書かれた怪しげな依頼と報酬を信じてしまっていいんか? と思われてそうだから一応言っとくが「クロヤギさん」からの依頼はコレが初めてではない。
そりゃ最初は怪しんださ。死ぬほど怪しいもん。
うちが死ぬほど借金を抱えてから程なくして、初めてクロヤギさんから手紙が届いた。
中には奇病の治療依頼と木津神診療所名義のキャッシュカードが同封されていた。さらに怪しさ満点。しかし、当座のお金の工面でさえアテのなかったあたし達は「もう失うものなんてありゃせんわい」という気持ちで依頼を遂行した所から「クロヤギさん」との関係が始まった。
不定期だが、確実に。それなりの報酬額の仕事を嘘偽りなく斡旋してくれる。
そもそも、あの『クロヤギの手紙』は何なのか。メールだろうがSNSだろうが何でもあるだろうに便箋って。
ま、そんなのはどうだっていい。
クロヤギだろうがシロヤギだろうが構いはしない。
あたしにとっての正義はウチの借金返済を手助けしてくれる存在だ。
全ては借金返済の為。その為ならあたしは本気を出す。
────そうこうしてる間に
もう二度と跨ぐことなんぞ無いだろうと思っていた学び舎の門を再び叩くこととなったのも何かの縁。
広葉樹のトンネルは終わりを迎え、あたしの目の前に巨大な学園の門と敷地の『マディア学園』
そして明るいであろう木津神家の未来が見えてきた。
おそらく。