第三症 霊薬少女に、洗礼の儀式 その1
目の前に広がるのは廊下。
慌てて見上げると『2年Ω組』の教室のプレート。
がらららっと教室のドアが開く。
「あら〜、木津神さん。席に迷っちゃいました?」
「え……え? 迷ったの? あたし」
何が起こったのか、さっぱり解らない。
だが、あたしはたった今教室の中で『迷ってしまった』らしい。
「高峯先生、これは一体どういう……」
先生は、にこりと微笑む。
「木津神さん、はやく席に着いてくださいね」
先生に手を引かれ、再び教室内へ。
先刻と何ら変わらない生徒たちの面々。
しかし、その表情には何やらニヤついたものを感じる。
「く……くすくす……」
「……コレ、………やだなぁ…」
「ふすすっ……ふすっふすっ……」
ははーん。
察しがついた。これはアレだな。
暗にではなく明らかに、あたしに対して『洗礼の儀式』的なヤツが投げ掛けられているんじゃないか。
『お前、健常者のクセにズカズカと俺たちの教室に入ってきてんじゃねーよ』的なやつ。
おそらく、あたしは今この教室内にいる「誰か」の奇病による副症状によって正しく歩くことを阻害されたのだ。
「木津神さんどうぞ。席に着いてくださいね」
先生は同じ言葉を繰り返す。
これは冷たくあしらっているのではない。詰まるところ、このクラスで過ごすということは『こういうこと』なのだ。
この程度で音を上げるようでは、先が思いやられる。
面白いじゃないか。絶対に辿り着いてやる。
見てろよコラ。
「勿論です。任せといてください!」
────さて、
さっきは教壇の右端から降りたところで迷わされて廊下にいた。
そして今、あたしは教室の入口に立っている。
単純に考えて一番迷わない(と思われる)道筋は
①『真っ直ぐ教壇を進んで左』
か
②『教壇手前を左に曲がって最奥まで進み右』である。
①はすでに迷わされた以上、取るべきは②である。
よし、決まった────。
くいっ!
「………って、え?」
左腕の袖を掴まれた。
「あなた」
それは入口に一番近い席に座る女生徒だった。
カラフルなニット帽を目深に被っている女生徒。
机に突っ伏していて、ともすれば眠っているかのように見えていたがどうやら起きてるらしい。
その華奢な体格通りの細い指があたしの袖をしっかり掴んでいた。
「え? どうかしたの?」
「────三回失敗する」
「へ?」
「三瞳さんダメよ。突然、木津神さんの袖をつかんじゃ」
高峯先生が優しく彼女の指をあたしの袖から剥がす。
そもそも先生が触れる前から、もう彼女の指に力は入っていなかったが。
「三瞳さんの紹介もしてあげたいけど、まずは席に着いてね。木津神さん」
「はい」
洗礼は続いているのだ。
だが、あたしは三瞳さんに小さく「ありがと」と伝えると、彼女の机に力強く手をつき、左へと曲がった。
生徒たちの座席は教壇から見てタテに五列、それぞれ六席ずつ配置されている。
三瞳さんの席を曲がると不死川さんの『水槽』が近づく。
彼女は手でガッツポーズを作ってくれている。どうやら『頑張れ』と言ってくれているらしい。
この子、ええ子や。
一歩。
また一歩。
教室の中を歩くだけでこんな緊張するのは初めてである。
ちょうど教室の半分ほどにさしかかる。
この位置から視線だけを右に送る。
そこに見えるのは例の『宇宙飛行士』の生徒である。
デカい。
そして、ちょうど教室の中央に位置する席に鎮座し、あたしが見ている限り未だ微動だにしていない。
前述しなかったが正直なところコイツが、心底くっっっそ怪しい。
そう、今回のターゲット災害級奇病『万魔殿症候群』の罹患者はコイツじゃなかろうか。
あの宇宙服のような外装は、外部からの刺激を遮断する為のものと言うよりは『自分の症状を外部に及ぼさない為の保護拘束具』の可能性が非常に高い。
『万魔殿症候群』なんてゆー呼び名と、災害級奇病と揶揄されるほどの奇病。
外出しようものならこの程度の装備が必要になっても何ら不思議ではない。
────と、視界が揺れる。
「あ……」
気づけば、再び廊下にいた。
なるほど。
おおよそ理解した。
「残念、また迷っちゃいましたね〜」
憮然とした顔で教室のドアを開けると先生が笑顔で言った。
三度、教室中の視線があたしに集中する。
三瞳さんがニット帽をずらして片目だけあたしに向けた。
「三回目」
「そうね」
いい加減、先刻まであたしを圧していた気配にも慣れてきた。
先生が少しだけ心配そうな表情を見せる。
「木津神さん、大丈夫? 席まで行けるかしら」
「はい。大丈夫です」
あたしは先生を手で制して、今度は間髪を入れず教室の中央に向けて進路を取った。
例の『宇宙飛行士』の席に向かう。すなわち教室を斜めに突っ切る進路である。
『────!?』
距離で言えば最奥のあたしの席まではコレが最短。
あたしの接近に気づいた宇宙飛行士が慌てるように身じろぎした。
『────□△×〇! △☆!?』
何かを喋っているようにも思えるが、声が聞こえない以上もちろん分かる訳が無い。
違う。
おそらくコイツは今、関係ない。
中央に鎮座する宇宙飛行士の席の隣をすり抜け、突っ切ろうとした瞬間。
────また、視界が歪み、あたしは廊下へと戻されたのだった。