第一症 霊薬少女とクロヤギの手紙 その1



 

──── この作品を《医学の父》ヒポクラテスに捧げたら、多分シバかれます。────

 

 

 

 

 

 

 

「はーい。アーンしてねー」

あたしは患者のクチに金属製の舌圧子を差し込む。
ぐにぃぃいいいぃぃっ!

「……うん。いい子ねー」

爛れた口腔内と扁桃腺を確認する。肌は腐葉土と同じ色してるし、目玉は白濁して煮込まれた魚のそれに近い。

────そして、その至る所に苔緑色の斑紋が見て取れる。おそらく感染はかなり進んでいる。

脈拍に関しても恐ろしいほどの徐脈、当然体温も低い。あー、こりゃー『治療』が必要だなー。
「はい、そーそーしっかり舌を出して、先生に見せてねー。あんまり寄らなくていいわよ。ちょっぴり臭うからねー」

……ぉぉごおおおおぁぁああっ!

患者が吠える。
がしゃぁぁぁぁんっ!と、同時に眼前の鉄格子が大きく揺らされる。
うん、顔色はくっそ悪いが元気だけはめっちゃいい。
カリカリカリッ
あたしは白衣の裾を翻してカルテに速記していく。
「……ぁあああぁぁ……シローちゃぁぁぁん」
鉄格子の『箱』から幾許か離れて立つ女性。この患者の親御さんの顔は涙でぐしゃぐしゃ、その目は救いを求めるようにあたしと患者を交互に見ている。

「あの、先生……うちの子は一体……」

歩み寄ろうとする母親を手で制する。
「あー、お母さん。あんまり息子さんに近づかないでくださいね」
「え……?」
「感染経路は不明ですが、噛まれたり引っ掻かれたりすると、この手のウイルスって感染しちゃうんで。しかも、すんごいスピードで健康な細胞を侵食して増殖しちゃいますから」
この鉄格子の『箱』は格子が太い分、強度こそ高い。だが、患者は手や腕を出せてしまう。ぶっちゃけ本来の用途はライオンや熊などをぶち込む猛獣の捕獲用の檻なのである。

ぉごおおおおぁぁああっ! がしゃぁぁぁぁんっ!

「きゃぁぁあああっ!」
涎を垂らし、幾度となく咆哮を繰り返す。
この姿だけを見れば猛獣となんら変わりはない。この箱の中に隔離した判断は正解と言える。しかし、カルテによれば彼は二十四時間前まで、何処にでもいる塾通いの男子中学生だった。
異変があったのは、ほんの数時間前。

隣の貝柄市にある塾の講義で夜遅くに帰宅後とのこと。自室で錯乱状態になり暴れ回っている彼を、連絡を受けたあたし達が捕獲した。おそらくその外出時、何かに感染したのだろうと推測される。
「あの……息子はどういう…状態なんでしょうか」
嗚咽に震わせた声で患者の母親が伺いを立ててきた。
「そうですね。」
あたしはカルテにここまで書き込んだ内容を吟味し、総括して告げる。
「息子さんは意識こそ混濁はしていますが元気で、食欲も旺盛なようです。こういった症例の中では比較的『健康な状態』と言えます」
「比較的、け……健康って! そ……そんなバカな話がありますか! どう見たってコレは……っ!」
噤む母親の言葉の先をあたしが紡ぐ。現状の状態を認めたくない家族の口からは言い辛いであろうその言葉。

「ゾンビ、あるいは歩く死体」
客観的に仕方ないとは言え、家族がそのような状態になったとは明言は避けたいだろう。
「────といったところですか。お母さん?」
母親は無言のまま、あたしの目をじっと見つめ返してきた。セミロングの髪の身なりの良い奥様だ。世間体を気にしそうな、と言っては失礼だが険の強い目元をしている。半ば睨んでいると言ってもいい。それは肯定の表れと解釈する。
「………は…はい」

がしゃぁあああぁんっ!

「ひ、ひぃぃっ!」

母親が返事をする横で息子は鉄格子から腕を突き出し、あたしに向かって襲いかかろうとした。
そう、誰がどう見たって目の前のコレは『屍人間ゾンビ』である。
説明は不要だろう。バイオがハザードするような終末系のパニック作品では欠かせない存在として、その認知度に並ぶものなし。一匹見たら三十匹、指数関数的に増えるパンデミックの代名詞の『屍人間』である。

屍人間ゾンビに見えますか? お母さん」
「はい。その、そうです……私には息子が屍人間になってしまった様に見え……ます」

あたしは告げる。
「ですね。息子さんは、最早どこに出しても恥ずかしくない屍人間です。でも、実の所をいうとこれは『後天性屍不全症候群こうてんせいかばねふぜんしょうこうぐん』と言う『病気』なこと、ご存知ですか?」
「えぇっ!?」
病名を告げると彼女は弾かれたように顔を上げた。
「……えっ? その、これは病気、なんですか……?」
「はい、病気です。もっとも我々の間では『奇病』というカテゴリーに分類するものですが」
そう、これは『奇病』である。
様々なメディアで見慣れてしまっているせいで、これが『病気』という認識は無いかもしれないが、あたし達から言わせれば列記とした疾患である。
見た目や治療の困難さから手に負えなくなり、ともすれば大流行を起こしがちなこれは間違いなく病気、いや感染性の奇病なのだ。

 

────時は二〇〇〇年を越え、半世紀以上過ぎた現代。

医療も、医学も飛躍的に進歩した現代ではあったが、それと同時に増加の一途をたどっているものがある。それが種々遍く『奇病』の存在である。いや、正確には過去に名の与えられなかった病気に病名があてがわれ始めたと考えるべきだろう。

しかし、世間的に『奇病』はまだまだ浸透していない。アナタだってそうだろう。原因不明の体調不良に病名などは求めない。だが、それらは全て名のある病気なのである。既に告げたが、あたし達は日常で目にする病気と一線を画して『奇病』と呼び習わしている。
「はい。主に罹患者の爪や歯牙による擦過傷、噛み傷その他の要因によって病原体を注入されることで発症する奇病です。
感染した個体に差異はあるものの、およそ三十分から二時間以内に屍態化の初期症状を起こします。適切な処置を施さない場合は感染個体の拡大と自身の最低生命維持のために他のヒトや動物を襲うに至ります」
「そんな……」
「この屍態化を起こすウイルスは多岐にわたりますので、どのウイルスかを判別する為には詳しい検査を必要とします。後ほど息子さんの唾液と頬の内側の細胞をサンプルとして採取させていただきますね。あとは────」
がしいっ!
「そ、それで先生! この子は、この子は治るんですかっ!?」
あたしの両肩を力いっぱい掴む母親、その目には溢れんばかりの涙が滲む。

「そうですね。正直なところ」

絶望の中で一筋の希望にでも縋りたいという彼女の表情。しかし、あたしの言葉はそれを砕く。
「……今の『医療』では無理です」
「そ……そんなっ! ウソでしょう。ウソと言ってください!」

ウソは言っていない。

日々、日進月歩している現代の医療だがその技術と研究の粋を尽くしても、この『後天性屍不全症候群』を完全に治すことは不可能である。

さっきも言ったが、多岐にわたるウイルスのうち、どのウイルスなのかを特定した上でそのアンチウイルス即ち抗体を生成することが出来れば治療も可能だ。
しかし、この『ウイルスの特定』というのが非常に厄介なのである。
簡単に『特定』なんて言葉を使ってくれるが今現在、この『人間を屍態化させるウイルス』というのが何万・何十万種あるか、はっきり言って誰にも解らない。タダでさえ数が多くて訳が分からんのに、ウイルスには劣化複製などとゆー特質があるもんだから、この分野は果てしないのである。

ぉごおおおおぁぁああっ!

「ひ…っ、先生! その何とか『治す方法』というのは無いものなんでしょうか。お金なら、お金ならいくらでもお支払いしますっ! うちの史郎を何とか、何とか!」
ぴくーんっ
……と、あたしの耳が猫のように反応する。
「そ……そぉ〜ですねー、無いことは無いんですが、それなりに難し~ぃ治療になりますのでぇ……」
「あるんですね! そこを何とかっ! この子を、この子を助けてやってください! そ……そのっ、お金に糸目はつけませんっ!」

ぴくくんっ

「……わかりました。お母さまの、その深い母性にあたくし木津神瑞月こづかみみづき。強く感銘を受けました。お引き受けしましょう! 必ず息子さんを元の『人間』に戻してみせます」
あたしは伊達眼鏡をくいっと中指で正位置に直して患者親子に向き直る。

「ただし、非常に特殊な治療法でして……保険も適用外でして」
「構いません。治していただけるのなら!」
食い気味に話すお母さんの勢いに、あたしは静かに深く頷いた。
「分かりました。お引き受けします」
「あ……あぁ! ありがとうございますっ!」
頬を涙で濡らしながら、母親の顔がほころぶ。

────が、そのほころんだ顔は一瞬で凍りつくことになる。

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「ちなみに治療費は初診料と合わせて五百万円とちょっぴりになります」
「は……?」

あたしは叩いた電卓を奥様にご覧に入れる。
「もちろん分割払いも可能ですよ。カード決済か現金どちらになさいます? 仮想通貨でも大丈夫ですがあまりオススメはしません」
「は、はいぃぃぃっ!? ご……ごひゃく?」
「あ、先ほども申し上げましたが、保険適用外なので悪しからず」
「え……え? ええええぇぇぇぇぇぇぇっ!?
そうして、唐突に超高額な治療費を告げられた奥様の顔色は息子さんとそう変わらないぐらいに青ざめていたが「子供の為である」として、力なくうなだれたのだった。



いつもあなたのおそばにクェン酸

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